どうもほくとです
前回は竹鶴政孝の摂津酒造、サントリー時代を記していきました
本日はお待ちかねの独立編ですね
1934年4月に壽屋を退社し
1934年7月に大日本果汁株式会社を設立しました
意外や意外
当初ウイスキーは造られませんでした
と言うのも
大日本果汁株式会社を設立するにあたって
資本金の調達に竹鶴政孝は投資家にお願いしていた事が起因しています
大口の出資者として
当時の加賀証券(現在の三菱UFJ証券)社長の加賀正太郎
芝川又四郎(芝川ビルディング当主)
柳沢保恵(統計学者)
の3名が名を連ねています
設立時の資本金10万円
取締役専務 竹鶴政孝
顧問 柳沢保恵
相談役 加賀正太郎 芝川又四郎
となっていました
加賀正太郎氏については
上に名前の出ている芝川又四郎とも柳沢保恵とも親交があり
大日本果汁の出資70%を占める1番の大株主でした
サントリー時代の竹鶴が住んでいた家の近くに加賀氏も住んでいたらしく
リタが英語を教えた事もあり、サントリー時代から信仰は深かったそうです
芝川又四郎については
竹鶴が海外留学から帰国した際に住んでいた家の持ち主が芝川氏だったらしく
当時大阪の帝塚山に住んでいたらしいです
その頃にリタが英語を教えていたそうです
現在も大阪に芝川ビルというのが残っていて
そこには
ザ・コートというバーがあり
ニッカウイスキーが沢山並んでいます
〒541-0044 大阪府大阪市中央区伏見町3丁目3−3 https://g.co/kgs/8r8ru3
この芝川ビル
大日本果汁株式会社が設立式を行ったビルなのです
今でも当時の趣をしっかりと残した素晴らしい建物なので
大阪来られた方は是非お立ち寄りください
そして柳沢保恵
柳沢氏は食通だったらしく
ウイスキーそのものよりも食通としてこの事業に興味があったらしい
加賀氏に統計学の指導を行った事もあり
皆が知っている仲だったようで
この4名での会社となりました
当初はりんごジュースを作る会社で設立して
当面はウイスキーを作らない事を条件に3名は出資をしたのですが
当初竹鶴が加賀に出資を持ちかけた時は一度と言うか何度も断っていたらしく
竹鶴、芝川の両名で何度も説得したそうです
この辺は加賀正太郎氏の随筆に残っており
随筆を拝読すると、当時の加賀の心中が記載されていました
当初はりんごジュースを作っていたのですが
有名な話で
当時のニッカのりんごジュースは混濁果汁で
それが濁っていると言う事で全然売れなかったのです
そして安息香酸ナトリウムを用いる方法で損失を補うために翌年の出荷に対して生産を倍増させました
そして問屋に届いた時に
また混濁してしまったらしく
随筆の一文を抜粋すると
「この時ばかりは竹鶴専務以下全員青くなってしまった」
と記載されています
そしてそのりんごジュースが大量に余ったので
竹鶴は蒸溜してブランデーにしたいと言う申し出があった為に
廃棄するのも勿体無いと言う事で蒸留機の導入が決定しました
その時の随筆によると
加賀正太郎はブランデーをつくるには大掛かりな設備、貯蔵庫の新設や
仕入れ額の上昇からウイスキー作ってる事を気付いていていたそうで
当時竹鶴の家、社員の社宅を建てたりしていたうえに
肝心のリンゴジュースは売れず、収入はなく
蒸留機の導入等支出が大幅に上回り
資本金の10万円は早々に無くなり
2年の間に100万円の損失を出したらしいです
借金が増え返済も一度もできなかったそうで設立2年目に大ピンチを迎えました
その時の加賀正太郎は
損を見切って遺憾ながらこの事業を投げなければならぬのではないか
という心中だったそうで
これを止めたのは芝川氏
事業は1年2年で辞めるものではない
加賀氏が協力する間この事業をどこまでも守り立てる覚悟である
と熱い気持ちを伝えた結果
加賀氏も覚悟を決めたそうです
そしてニッカ初のウイスキーが発売されたのですが
マッサンをご覧になった方ならご存じでしょうが
このウイスキー
全く売れませんでした
この事にも加賀氏は
瓶のデザインは良い
包紙、紙箱、外箱も良し
ただ肝腎の中身が熟成足らず
加賀氏は友人に勧めたところ
昆布の香のするウヰスキーは飲めない
と二度と買ってくれなかったそうです
加賀氏自身も贔屓目に考えても、がまんにも飲めなかった
と記されており
正直な気持ちが垣間見れた一文だった
この辺りでも竹鶴政孝が今日のニッカに至るまでに
どれだけの苦難があったかが垣間見える
そしてニッカを支えた3人の投資家達
本当にドラマのような話ですよね
アサヒビール大山崎山荘美術館
〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町銭原5−3
075-957-3123 https://g.co/kgs/SGn2bo
生前の加賀正太郎氏の家が現在は美術館になっているので是非お立ち寄りください
僕も伺ったことがあるのですが
とても素晴らしい建物なので
現在見学できませんが
見学できるようになったら山崎蒸溜所に行って
そのまま大山崎山荘に行くのもいいかもしれませんね
それではこの辺で
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