どうもほくとです
前回言っていたニッカウヰスキーの小ネタ集を綴っていこうかなと思います
①竹鶴政孝が高校卒業後に就職した摂津酒造の上司
岩井喜一郎
彼は竹鶴が留学後にレポートを受け取り
それをもとに本坊酒造にてウイスキーをつくりはじめます
なので竹鶴政孝は本坊酒造の間接的始祖となります
山崎、余市、宮城峡、駒ヶ岳
特にこの蒸溜所は竹鶴がいなくてはできなかった
もしくはできたとしてもかなり先の時代になっていたのではないでしょうか
②ニッカウヰスキーの新入社員
会社に就職すると研修ってありますよね?
ニッカにもあったのですが
まずは宮城峡に配属されたらしいです
そして一番初めの仕事は
デッキブラシとバケツを持って橋の清掃からスタートしたらしいです
他にも最近では大容量はペットボトルになっていますが
以前は瓶でのリリースになっていた
そのボトルの洗浄をやっていたそうです
後々は機械で全て洗浄する事ができたらしいのですが
当時はそういった設備もなく新入社員がせっせと洗っていたそうです
ちなみにこの話は現在50代後半の元ニッカウヰスキー(現アサヒビール部長)からお聞きしました
元ニッカの方々は愛社精神が強く
昔のボトルを見ると
うわーこれ○○年に出たなー
あの時は大変だったなぁ
とリリース年と当時の思い出を話してくれました
ニッカはずっと苦しい時代が続いていましたが
ブラックニッカ クリアブレンドが発売されてかなり売れたらしいです
ニッカ社員にとっても思い入れ深い商品となりました
③宮内庁献上品!
ニッカウヰスキーは宮内庁献上品としてスーパーニッカが選ばれていました
ラベルも菊の御紋が入った一般には流通しない超限定品があったそうです
もちろん見たこともないのですが…
このお話しは前ニッカウヰスキーアンバサダーの箕輪様からお話しを伺った事があります
スーパーニッカはニッカの歴史的にも感動的な商品で
1962年にファーストリリースされるのですが
1961年に竹鶴の嫁リタが亡くなり
竹鶴は自室に篭りっきりになったり
仕事への情熱を忘れてしまっていましたが
息子の威と共に研究室に篭りきりになり
リタに捧げるウイスキーとして威と共に完成させたウイスキーです
当時の大卒初任給15000円に対して1本3000円
初任給の5分の1
今の初任給で考えても4万以上するボトルと考えると
かなり高額品となっていますね
それもそのはず
ボトルは手吹きの各務クリスタル(現カガミクリスタル)のボトル
一本ずつシリアルナンバーが付いていて
替え栓はナンバーが合わないと使えないという特別仕様
このボトルは竹鶴が
「ウイスキーが熟成するまで何年もかかる
これは娘が大きくなれば嫁になるのも一緒なのだから
立派な衣装を着せてやりたい」
という竹鶴政孝の想いが詰まっている
当時は宮城峡がなかったので余市モルト主体の力強いブレンドだったのではないかと思われる
私も飲んだことないんですよね
1970年リリースの二代目スーパーニッカは飲んだことあるのですが
私はかなり好きでしたね
ボトルの肩部分に突起があり
当時肩付きといわれていました
浪漫とともに飲んでみてはいかがでしょうか
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こちらは現在販売されているスーパーニッカです
ファーストリリースから60年
現在も発売されているというのは感慨深いものがありますね
④竹鶴政孝の声が聞ける!
当時の新成人に向けたスピーチが残っています
ぜひご覧ください
⑤ニッカウヰスキーといえば…
大阪は江坂にあるBAR 日果
ニッカウヰスキーといえばここです!
私が独立前に店長をしていたお店でもあり
当時の私は
アサヒビールの新入社員が勉強しに来るようなBARにしたいと思い
知識とボトルを増やしていきました
そして2019年に現店長の大森氏にバトンタッチ
大森氏もニッカウヰスキーを広めるために尽力しています
是非お近くにお立ち寄りの際はBAR 日果へ!
Bar 日果
〒564-0063 大阪府吹田市江坂町1丁目23−33 第7 マイダビル3階
06-6338-8020
それではこのへんで
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