アラン蒸溜所パート②!
前回はアラン蒸溜所操業開始までお話ししたので、今回はそこからお話ししていきたいと思います。
さてさて、1995年に操業開始したアラン蒸溜所ですが、ビジターセンターは当時まだプレハブの仮設建築でした。それでも25,000人以上の人が足を運んだそうです。
ビジターセンターの整備が整ったのが操業開始から2年後。1997年8月9日に女王陛下の除幕でオープンしたアラン蒸溜所のビジターセンター。
エリザベス女王がウイスキーの蒸溜所に公式訪問するのはなんと2度目!1980年にボウモア蒸溜所を訪れてから17年ぶりの訪問だったそうです。
1998年に映画『トレインスポッティング』でもおなじみのユアン•マクレガー氏がアラン蒸溜所の復活を祝した公式イベントでアラン蒸溜所を訪れ、スコッチウイスキーと呼べるようになったアランモルトの最初のカスクを開けました。
1999年、ハロルド・カリー氏はディレクター兼名誉会長に、そして息子のポール•カリー氏が2003年まで取締役を務めます。その後取締役を退いたポール•カリー氏、実はレイクス蒸溜所を設立します。
その後アラン蒸溜所のマネージングディレクターを務めたのは、スプリングバンク蒸溜所で働いていたユアン•ミッチェル氏。
そこから10年間はアラン蒸溜所も厳しい日々が続いたそう…。厳しい日々が続く中でも、アラン蒸溜所のウイスキーのボトルに、スコットランドの国民的詩人ロバート・バーンズ氏の名前と肖像画を使用する許可を認められたり、2007年にはアイラ島からボウモア蒸溜所長を30年務めたジェームズ・マクタガート氏を蒸溜所長に迎えたりと、アラン蒸溜所は着実に歩みを進めていきます。
ちなみにロバート・バーンズ氏はあの有名な蛍の光の原曲を作詞した方です!
そして、蒸溜所長を務めたジェームズ・マクタガート氏は、アイラ島からアラン島に毎週通っていたそうな。
厳しい状況が続いたアラン蒸溜所ですが、2015年には過去最高益を記録します。そして2016年3月、ウイスキーに生涯を捧げたハロルド・カリー氏は「アラン18年」の発売を見届けこの世を去りました。
いやぁ思いのほかアラン愛が凄すぎてまだまだ書き足りないですねぇ
それでは今日はこの辺にしますか
それじゃ、バイバイ!
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